ひとりごと

思ったこと。考えたこと。好きなこと。何でも自由にぶつぶつと。

隣のあなたはキラキラして見える。

昨年末、Twitterの本アカとInstagramを休止状態にした。SNSに振り回されていることに嫌気がさしたからだ。ずっと前から、SNSに振り回されていることに気づいていたけれど、なかなか断ち切れなかった。自己顕示欲の方が勝っていたのだ。

でもあることにショックを受けて、衝動的にツイートを全て消してアカウントからログアウトした。やってみるとスッキリして、あっさりとTwitter離れができた。その流れに乗って、Instagramの投稿を全て非公開にしてログアウトしたら、自己顕示欲なんてどこかへ行ってしまったようだ。

SNSがない毎日は、前よりほんの少しだけ静かな気がする。友達の情報は全く入ってこなくなったけれど、SNSでしか知らない友達の情報なんて、もともと私には必要なかったようだ。実際に会ったり連絡を取ったりして、友達の様子を知ることができれば十分だ。

私は私が思っていた以上に、SNSに疲れていたんだと思う。特にInstagramは、心を抉るものがある。私以外の全ての人が、キラキラしているように見える。私はなんてつまらない毎日を送っているのだろうかと思う。でもそもそもInstagramは、'日常'ではないはずなのだ。みんなの少し特別な日が集まる場所だから、自分が普通かそれ以下の人間に思えるというだけのことだ。まああれが'日常'な人も一定数いるんだろうけど、そんな人とは関わることもないだろうから興味もない。

 

…とここまで最近考えたことを書いていて改めて思ったのは、この数年で性格がキツくなったということだ。嫌で嫌でたまらなかった自分が変わった自信があるから、自分以外のものを否定する傾向にあるのだと思う。でもそれで特定の誰かを傷つけたり、誰かに迷惑をかけたりしているわけではない。私は自分の意見をしっかり持っている人が好きだし、自分もそうでありたい。

そして、'非日常'を上辺だけの文章で残すことより、24歳の私が本当に考えていることをこうして残しておくことの方が、数年後の私のためになると思うのだ。

 

高校3年生の時に小論文の練習で書いた文章を捨てられずに、全部とってある。1年間でかなりの量の文章を書いていて、今だから言えるけど、先生には小論文で落ちることはまずないだろうと言われるほどの評価をもらっていた。(唯一の自慢)

当時の私は毎日村上春樹を読んでいて、今読むと自分でも驚くほどの文章力がある。そして何より、当時の私は物事をしっかりと考えていたことが文章から分かる。自分の考えを持っていて、それを綺麗な文章にできているのだ。当時の私のことが、今の私は少し羨ましいくらい。

自分の考えは変わっていくものだし、その変化に気づくのはかなり難しいと思う。文章にして残しておくことが1番、明確な変化を見つけられるだろう。そういう変化を見つけることで、私は自分の成長(退化)を実感する。

そういうツールとして、私はこのブログだけは細々と続けて行きたいと思う。こうして文章を考えることは好きだし、大勢に見られてないから本音を書けるし、私はブログ向きなんだと思い始めた。

友達に「ブログ読んでるよ」と言われるのは一瞬ヒヤッとするけれど、それはそれで嬉しい。こんな根暗メンヘラ拗らせ女子と分かった上で付き合ってくれることに、改めて感謝する。

 

私はこれからも'インスタ映え'を撮りながら、Instagramを更新しない静かで小さな世界で過ごしたいと思う。